2001年宇宙の旅

 今までは近未来SFとして見られていたこの映画も、これからは別の視点から見られることになるでしょうが、キューブリックがこの映画で2001年という年代を選んだことは大変興味深いことです。ところがキューブリックは1999年に亡くなってしまい、キーマンを失った今、この映画の謎は更に深まっていきます。ただし、この映画で描かれていることは、いたって時代普遍的なものであることを念頭に置いてみてもらいたいです。

 僕もついにこの映画について語るときがきたか。語れば語るほど安っぽくなってしまう映画なので、もうこの映画は見てもらうのが一番てっとりばやいのですが、その一言で片付けるのもなんだから、この超大作を改めて再認識してもえればと、僕は自分流に解説してみることにしました。

映像の良いところ

 この映画を見て、巨大なスクリーンの意義たるや何かをひしひしと学びました。

 もちろん、最後のシネラマ映画ともいうべきこの映画を、リアルタイムで見てはいないが、一度だけリバイバル上映で見たことがあります。感想ですが、テレビで視るときとは全然違っていました。正直言って、テレビでは「2001年」の美しさは伝わらないと実感しました。この映画を映画館で見たときには本当に震えが止まらず、大興奮の2時間半だったのです。

 素晴らしい事は、やはり猿人が骨を放り投げて宇宙ステーションが出てくるところからのシーンです。宇宙の黒と、地球の眩い青の素晴らしい対比は、この世のものとは思えない雄大なる美しさだったのです。またこのときのカメラワークも素晴らしく、ゆったりとパンしていくところは、見ていて体が軽くなった気分になっています。また着目したいのが宇宙ステーションのウィンドウ。テレビでは単なるガラス窓だったのに、映画館で見たら、何と窓の奥に人が見えて、しかもちゃんと動いているのです。本気で驚きました。

 ディスカバリー号の船内の映像も凄いです。船内の壁のいたるところで製造番号みたいなものを見つけることができるのですが、テレビではこういう文字はつぶれてしまって、壁に溶け込んで単なるシミになってしまっているのです。だからこそ、映画館でじっくり見たときの感動は大きかったです。何としてでもスクリーンで視るべきヴィジュアルな映画です。

物語について

 アーサー・C・クラークが書いたシナリオがある、と広く知られていますが、実はそれは間違いです。

 本当は「2001年」の脚本はクラークとキューブリックが共同で執筆したオリジナルなのです。そして映画製作中にクラークは小説の方も同時執筆していました。結局は小説の方が後発になってしまったが、同時進行だったため、どちらが先かと考えることは問題外になっています。

 ところで、映画と小説とでは、ずいぶんと中身は違います。

 映画は極めて難解で、多くの謎を残して終わります。わからないことだらけです。《それなのにこの映画は永遠の人気を誇るのだから凄い》。

 ところが小説の方は何一つわからないことはありません。小説は映画の謎解き案内役みたいな感じに扱われてしまったが、実際は小説も映画もそれぞれに違った良さがありまして、共に名作です。

 ストーリーについてはあらゆる本で語り尽くされてきたし、僕も今までに何度も書いてきたことなので、ここでは大きく取り上げないことにします。

 ただひとつ言いたいのが、この映画でストーリーを考えるのは観客自身だということ。ストーリー以外にも見所はいくらでもあるのだし、セリフはほぼないに等しいわけだから、内容なんて好き勝手に哲学すればいい。とはいっても、最初は猿人の話だし、ラストではなぜか木星圏からロココ調の部屋にやって来てしまうわけだし、ただものの内容ではないことは誰の目にもわかってもらえるはずです。

 見れば視るほど味が出るのもこの映画の面白いところで、細かい演出に自分だけが気付いたときの感動といったらまことに大きい。

ミュージックについて

 この映画は僕の思い出の著作です。僕が一番好きな映画といってもいい。本当に一番というわけではないが、映画芸術の素晴らしさに感動したという点では最も影響を受けた著作です。

 僕が一番感動したのは何かというと、それはクラシックミュージックが効果的に使われていることです。僕は前半の宇宙遊泳のシーンが一番好きなのですが、この映像は本当に今見ても溜息がでてしまう。あまりにも見事すぎるからです。

 使われている曲は、ご存じヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」。このワルツを宇宙遊泳に結びつけたセンスたるや、恐るべしキューブリック。キューブリックは未来社会をゆっくりと優雅にユーモラスに描写していきます。未来社会の生活の様子を描いた著作はいつの時代もユニークなものばかりですが、「2001年」で描かれている生活感は特別素晴らしい。よく考えると、宇宙遊泳のシーンにはセリフも効果音もありません。ミュージックが流れているだけで、演出はサイレント形式です。サイレント形式で描いたことで、観客に想像力を膨らませることができたのかもしれありません。また、安っぽい効果音もセリフも排除したことで、このシーンが、永遠に廃れることのない名場面に成り得たのだと思う。

 ところで、オープニングとラストでは、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」も劇的に使われています。この前奏曲は、「2001年のテーマ曲」という異名がついてしまって、もはやクラシックミュージックだったということを知る人は少ありません。それほど映像にマッチしていたわけで、観客たちに強烈な印象をたたき込んだのだと思える。ミュージックだけでもこれほどまでに影響力のある映画は珍しいですね。

著作のデザイン

 「2001年」がSF映画の金字塔であることは誰もが認めることであるが、それはストーリー、映像、ミュージック、演出など、あらゆる面において革新的であったからです。それは、もちろんステージデザインに関しても言える。

 「2001年」では、従来の子供だましの空想は抜きにして、科学的な検証を考慮しての、かつてなかったリアルな宇宙ステーションが登場します《このデザインはキューブリックは当時は手塚治虫先生に依頼していたのですが、手塚先生本人に断られたという話は有名である》。この企画はイギリス映画だからこそ実現できたのかもしれありません。この宇宙ステーションのユニークな造形は、歪曲した地面です。ステーション全体を回転して重力を発生させるという画期的なアイデアです。

 まだ1968年は、人類が月面に到達する前の年なのに、開拓精神旺盛なキューブリックは一歩先を行くアイデアで思う存分に楽しませてくれています。だからこそ、磁石靴や、声紋検査装置や、テレビ電話などが出てくる場面が面白い。

 ディスカバリー号が出てくる最初の場面で、船員が船内でランニングしているシーンも最高です。床はぐるりと一周して円形状になっています。またやたらとこの通路の幅が狭い。前にも後にも様々なSF映画が作られたが、これほど風変わりなセットがあっただろうか? 「2001年」の世界観はずばぬけて独創的だったのです。

 ついでに白と赤の二色にも着目してもらいたいです。この映画では最初の猿人の場面から最後まで、頻繁にこの二色が使われています。その対比を見つけて楽しむのもなかなか乙かもしれありません。また、円形と長方形にもこだわりが感じられます。

 この映画が何度見ても飽きないのはこういうところにキューブリックの知的センスが光っているからです。キューブリックはまさしく偉大だったのです。

エフェクト

 本当にいい映画は、時代を超えて愛されます。

 「2001年」は変わり種で、公開当時は賛否両論だったのですが、時代を経るごとに、しだいに評価されていきました。今となってはSF映画としてでなく、映画史上の屈指の名作として名高い。

 当時、アカデミー賞の著作賞候補には当然のこと落選。その年の著作賞はキャロル・リードの「オリバー!」に渡った。ところが「オリバー!」は当時はセンセーションだったにしても、現在の評価は低い。無視された「2001年」の方が時代の波に流されなかったという事は、面白い話です。

 ただし、「2001年」はアカデミー賞で、特殊視覚効果賞だけは受賞していました。視覚効果を担当していた事は、何とキューブリック本人です。

 キューブリックの映画技法というものは常にパイオニア的でありました。この映画ではフロントプロジェクションという特殊技術に初めて成功しています。背景はあらかじめ用意しておいた映像を映写して、役者はスタジオで演技をしているだけです。従来ならスクリーンの裏から背景を映写するはずですが、キューブリックはハーフミラーを使って前から映写して、全くそうとは気付かせない映像に仕立て上げています。

 もう一つ、スリットスキャンという装置も利用しています。これは同作で圧巻といえる「スペースシャワー」のシーンのあの神秘的な光の映像で使われたものです。長い映像だったのですが、とにかく凄かったです。

 結局キューブリックが獲得したオスカーといえば、この映画で取った視覚効果賞の一本だけに終わってしまった。むしろこれで良かったのかもしれありません。そのせいもあって、キューブリックは今日のように神格化されたのだから。

 こうなると、今はスピルバーグの「A.I.」に期待するばかりだね。

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