博士の異常な愛情

 正式名称は「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)はスタンリー・キューブリック監督の映画ですが、あまりのタイトルの長さから『博士の異常な愛情』と呼ばれる事が多い作品です。

 冷戦時代の世界情勢を背景に、偶発的な原因で核戦が勃発し人類滅亡の危機に至るさまをシニカルに描くコメディで、主要な登場人物の大半を占める政府や軍の上層部は、度しがたい利己的俗物ないし異常者として描かれ、彼らが右往左往するさまを嘲笑する風刺劇でもあります。キューブリックが監督した最後の白黒著作でありまして、上映時間は93分。本著作はピーター・ジョージの『赤い警報』という真面目な本をシナリオにしていますが、キューブリックはストーリー構成段階で題材の観念そのものが馬鹿げたものだと思い直し、ブラック・コメディとしてアプローチし直しました。核戦の緊張と恐怖をアイロニーを込めて描いた本著作は、キューブリックの代表作の一本と位置づけられています。アイロニカルな姿勢は、同時期に撮られた同テーマのシドニー・ルメットの『未知への飛行』のヒロイズムを含んだ感傷性とは一線を画しています。『2001年宇宙の旅』《1968年》、『時計じかけのオレンジ』《1971年》とひとまとめにして「SF3部作」と呼ばれることもあるが、この関連づけがキューブリック本人の構想にもとづくことを示す資料は発見されていありません。

あらすじ

 冒頭にアメリカ空軍により、「映画はフィクションでありまして、現実には起こりえない」との解説がつきます。

アメリカ、バープルソン空軍基地の司令官リッパー将軍が精神に異常をきたし、指揮下のB-52爆撃機34機にソ連への核攻撃《R作戦》を命令したまま基地に立て篭もった。巻き込まれた英国空軍のマンドレイク大佐は将軍の閉じこもる執務室から出られなくなり、リッパー将軍の話相手となっています。なお爆撃機のそれぞれには第二次世界大戦で利用された全爆弾・砲弾の16倍の破壊力がある核兵器が搭載されています。

 それを知ったアメリカ政府首脳部《マフリー大統領、軍高官、大統領科学顧問のストレンジラヴ博士など》は、機密情報の塊であるペンタゴンの戦略会議室にあえてソ連大使を呼び、対策を協議します。ソ連首相とのホットラインで、ソ連は攻撃を受けた場合、自動的に爆発して地球上の全生物を放射性降下物で絶滅させる爆弾が実戦配備されていることが判明します《この爆弾はドゥームズデイ・デバイス、「皆殺し」装置と呼ばれている》。公開しなければ威嚇の意味をなさない兵器をなぜ公開しなかったのかと迫るストレンジラヴ博士に、ソ連大使は「近日公表する予定だったのです。首相は人を驚かすのが趣味だ」と説明しました。この協議が続いている間にも爆撃機は進撃を続けています。

爆撃機の一般通信回路は敵の謀略電波に惑わされないためにCRM114とよばれる特殊暗号装置に接続されていて、この装置は通信をまったく受け付けません。そのため爆撃機を引き返させることは不能です。例外として三文字の暗号を送信することによってこの装置を解除できる。その暗号はリッパー将軍しか知らありません。

アメリカ政府はリッパー将軍から無線通信の暗号を聞き出すために、将軍の基地に近い所の空挺部隊を動員するが、将軍が基地内のアメリカ兵に戦時体制の指令を出していたため、アメリカ軍同士による戦闘が開始されます。

リッパー将軍はマンドレイク大佐に、水道水にフッ素が混入しているのは共産主義の謀略だという陰謀論を延々と話す。いよいよ空挺部隊がリッパー将軍の執務室に迫ってきたという時、大佐に日本人から拷問を受けた話を聞き、自分は拷問に耐えられそうもないと言ってバスルームで自殺します。

その後、リッパー将軍の話をアナライズしたマンドレイク大佐によって爆撃機のCRM装置の暗号が解読されます。大佐はコカコーラの自販機を撃ち抜かせて電話代を手に入れて大統領に暗号を通報し、撃墜を免れた爆撃機は攻撃を中止して基地へ引き返しはじめた。しかしコング少佐の機は対空ミサイルの爆発が原因でCRMの機密保持装置が作動し暗号装置が破壊され、帰還命令を受信出来ありません。その上、低空飛行により燃料を浪費して当初の目標地点への攻撃ルートでは脱出する燃料がなく、最も近いミサイル基地への攻撃に切り替え、ソ連への核攻撃を行う。断線によって爆弾の投下口が開かない非常事態に、熱血漢コング少佐は核爆弾にまたがりながら配線を再接続するが、故障が直るや否や爆弾は投下されてしまい、コング少佐はカウボーイのように爆弾にまたがったまま落ちてゆく。

皆殺し装置が起動し、人類を含む全生物が10ヶ月以内に絶滅することに一同が暗澹とする中、選抜された頭脳明晰な男性と性的魅力のある女性を地下の坑道に避難させることにより人類を存続させうるとストレンジラヴは熱弁し、興奮のあまりドイツ時代に立ち返り「総統!私は歩けます!」と絶叫します。ラストはヴェラ・リンがうたう第二次世界大戦時代の流行歌『また会いましょう』の甘いメロディが流れる中、核爆発の映像が繰り返し流され、人類滅亡を暗示させるシーンで終わります。

ストレンジラヴ博士《ピーター・セラーズ》

大統領科学顧問。ドイツから米国に帰化したという人物。ストレンジラヴという奇妙な名前はドイツ名「Merkwürdigliebe」をそのまま英語に直訳したもの。足が動かないので車チェアに乗っています。何度も大統領を総統と呼び間違え、興奮気味になると義手が勝手に動きそうになり、それを左手で何とか押さえつけるといった奇行が目立つ。他の登場人物と比較しても登場シーンは短いが、薄気味悪い笑みや、緊急事態にも関わらずに終始一貫して恐れを見せず、むしろ楽しげに自論を披露します。モデルには、『水爆戦論』を書いた軍事理論家ハーマン・カーン、宇宙ロケット研究者でV2ロケットを開発し、後にはアポロ計画のロケット開発を主導した科学者ヴェルナー・フォン・ブラウン、また髪がウェーブし、右足が革の義足だったことからエドワード・テラー、車チェアに乗っていたことからジョン・フォン・ノイマンといった水爆の開発者、ロバート・マクナマラ《彼のミドルネームはStrange》などと諸説あります。容姿や訛りが似ている事からヘンリー・キッシンジャーがモデルとの指摘も多いが、この役を演じたピーター・セラーズ及びキューブリック監督はこれをことあるごとに否定、2人ともキッシンジャーを見たこともなかったといいます。

リッパー将軍《スターリング・ヘイドン》

フルネームはジャック・D・リッパー。切り裂きジャックと同名になっています。反共、反ソが極限に達し妄想にとりつかれます。独断でソ連への核攻撃命令を発信し、空軍基地に篭城します。そして顔色一つ変えず「共産主義者によって既にアメリカは侵食されている」「水道水フッ化物添加はアメリカ人の体内の『エッセンス』を汚染する陰謀だ」という陰謀論をマンドレイク大佐に説く。

タージドソン将軍《ジョージ・C・スコット》

リッパー将軍に劣らぬ反共主義者で、皆殺し装置の話を聞くまでは報復される前にソ連に先制攻撃するべきだとの強攻策を熱弁するタカ派です。しかし爆撃機が撤退を開始したと聞くと皆に呼びかけて神に祈りを捧げる一面も持つ。会議中にやたらとガムを噛み続けたり、熱弁中に勢い余って後ろに転び、立ち上がり尚も熱弁します。《これはヒトラーが演説中に興奮したときの癖でありました。》

マンドレイク大佐《ピーター・セラーズ》

英国空軍大佐で派遣将校。たまたまつけたラジオで戦状態ではないことを知り、何度もリッパー将軍の「越権行為」を正そうとします。過去に事故に会い、片足が義足だといいます。もの静かな人物で、機関銃の扱い方はわからありません。第二次世界大戦中にビルマにおいて日本軍に拷問され、口を割らずにラングーン鉄道で線路を敷かされた経験があるらしい。日本人を「ブタ」と呼びつつも「日本人は良いカメラを作る」とアイロニーも述べています。

他にも、周囲に翻弄される常識人のマフリー大統領、血気盛んに核爆弾と共に殉職する爆撃機パイロット・コング少佐などが登場します。

出演者

  • ストレンジラヴ博士 ピーター・セラーズ 大塚周夫 山路和弘
  • ライオネル・マンドレイク大佐 愛川欽也
  • マーキン・マフリー大統領 中村正
  • "バック" タージドソン将軍 ジョージ・C・スコット 池田忠夫 宝亀克寿
  • ジャック・D・リッパー准将 スターリング・ヘイドン 家弓家正 佐々木勝彦
  • T・J・"キング"コング少佐 スリム・ピケンズ 富田耕生 辻親八
  • "バット" グアノ大佐 キーナン・ウィン 吉沢久嘉 楠見尚己
  • アレクシ・デ・サデスキー
  • ソ連大使 ピーター・ブル 滝口順平 三木敏彦
  • ロザー・ゾッグ少尉 / ソギー ジェームズ・アール・ジョーンズ 田中信夫 魚建
  • ミス・スコット トレイシー・リード 渡辺典子 水落幸子
  • スティンズ ジャック・クレリー 寺島幹夫 田原アルノ
  • フェイスマン ゴードン・タナー 勝田久 島香裕
  • エース シェイン・リマー 桑原たけし 斎藤志郎
  • ゴールディ ポール・タマリン 大竹宏 松原政義
  • カイベル グレン・ベック 中田浩二 上田陽司
  • ディートリッヒ フランク・ベリー 青野武 田中一永
  • ナレーション 矢島正明

映画『ROOM237』を見た後に……キューブリック監督って誰なの!?